初心者バイナリオプション戦略

アジア通貨危機

アジア通貨危機

    通貨危機のメカニズム
    本報告書では、最初に通貨危機の発生のメカニズムと危機防止政策について基本的な考え方を紹介して、後に続く各国編を読まれる際の参考に供するとともに、関係国支援に関し若干の政策提言を示した。

東アジア通貨バスケットの経済分析

そのような背景の中、経済産業研究所の研究プロジェクトとして伊藤隆敏経済産業研究所ファカルティ・フェローが主査となり、2004年秋に「東アジアの金融協力と最適為替バスケットの研究」に関する研究プロジェクトが立ち上げられ、通貨バスケットに関する研究が続けられている。当研究プロジェクトでは、将来的には共通通貨バスケットを長期的に望ましい選択肢と位置づけ、共通通貨バスケットに移行するまでの金融為替政策運営、そして、望ましい共通通貨バスケット制の形態を探るという、政策に直結する研究を行っている。研究プロジェクト遂行の過程において、ASEAN+3(日中韓)の通貨バスケットであるアジア通貨単位(Asian Monetary Unit, AMU)および構成通貨のAMUからの乖離を示すAMU乖離指標のデータが作成され、2005年9月よりRIETIのウェブサイトに公表され、毎週データ更新が行われている。

当研究プロジェクトの研究成果はこれまでにRIETI Discussion アジア通貨危機 Paper Seriesに発表されてきた。そして、John Williamson(The Peterson Institute for International Economics)、余永定(中国社会科学院)、Jae-ha Park(Korea Institute of Finance)、Deok Ryong Yoon(Korea Institute for International Economic Policy)、Woo Sik Moon(ソウル国立大学)、河合正弘(アジア開発銀行)、Giovanni Capanneli(アジア開発銀行)の各氏を招聘し、2005年10月31日と2006年12月23日に国際ワークショップを開催して、これらの研究成果に基づいて、為替バスケットについて議論を行った。その研究成果を書籍にまとめたものが本書である。

2007年7月
伊藤 隆敏
小川 英治
清水 順子

著者(編著者)紹介

一橋大学経済学部卒業。経済学Ph.D.(ハーバード大学)。現在、東京大学大学院経済学研究科教授。主な著書にThe Japanese Economy(MIT Press,1992年)、A Basket for Asia(編著,Routledge,2007年),『インフレ目標と金融政策』(共著,東洋経済新報社,2006年)等。

一橋大学大学院商学研究科博士課程修了。博士(商学,一橋大学)。一橋大学大学院商学研究科助手を経て、現在、明海大学経済学部准教授。主な論文に“Stabilization of Effective Exchange Rates under Common Currency Basket Systems,"(共著,Journal of the Japanese and International Economies,Vol.20,No.4,2006年)等。

アジア通貨危機

第1章 アジア通貨危機の原因と特徴

1.アジア通貨危機の経緯と原因

(1)タイにおける通貨危機の発生

タイにおける通貨・金融市場の混乱は、数週間後には、インドネシア、マレーシア、フィリピン、また、これら3国に比べ程度は小さいもののシンガポール、台湾に波及し、更に香港にまで及んだ。
タイ・バーツの下落を受け、インドネシアは7月11日に変動バンドを拡大、8月14日にはバンドを撤廃してフロート制に移行、フィリピンも為替取引バンドを7月11日に撤廃した。インドネシア、フィリピン、マレーシアの通貨はタイ・バーツの下落につれて下落し、株価の下落も生じた。下落率は比較的小さいもののシンガポールや台湾でも通貨・株価の下落が起こった。
これらの国々は、マクロ経済状況から見る限り通貨・金融市場の混乱が起こる要素は少なかったし、タイの場合と違いそれ以前に市場において徴候があったわけでもない。また、各国それぞれについて見ると、その経済構造、産業構造は、一次産品への依存度が依然高い国から、ハイテク製品の輸出が主流となっている国まで、また、一人当たりGDPをとってみても大きな違いがあった。
にもかかわらず、通貨・金融市場の混乱は瞬く間にこれらの国に波及し、いわゆる「contagion(伝染)」が生じた。伝染が生じた要因としては、市場におけるこれら各国通貨に対するパーセプションが、タイ・バーツの大幅下落を受けて一挙に変わったことが指摘されている。そのような市場の変化をもたらした1つの背景としては、それまでのアジアの高成長の過程でこれら各国が域内貿易の依存度(資料8参照)をはじめ、相互依存の程度を高めていたことが挙げられる。また、特に波及の大きかったインドネシア、マレーシア、フィリピンについては、以下のような点につきマーケットが着目したことが指摘されている。

アジアにおける通貨危機は、10月下旬以降韓国に波及し、更にその深刻度を増した。しかし、既に伝染を受けていたインドネシア等と韓国とでは、通貨危機発生の要因は異なるようである。
アジアにおける通貨混乱により不安定性を増した市場の動向が、韓国における通貨危機の要因となったことは間違いないが、韓国においては、既に国内において、産業構造及び金融セクターを巡る諸問題が通貨市場の混乱が発生する以前に噴出していた。すなわち、マクロの経済状況自体は、97年第2四半期以降それまでの景気停滞を徐々に脱却し回復傾向にあったが、財閥主導の過剰な投資、それを支えた銀行融資の不良債権化、といった問題が表面化していた。97年1月の韓宝グループの破たんに始まり、財閥の経営行き詰まりが続々と表面化し、7月には財閥8位の起亜グループの破たんにまで発展した。そしてこれら財閥を資金面で支えてきた金融機関の資産内容の悪化が懸念されるようになってきた。更に、総合金融会社(ノンバンク)の短期外貨調達に基づく積極的な国内外での資金運用が行き詰まりをきたしていた。
このような経済状況が、韓国経済に対する信認を急速に低下させ、東南アジアで発生していた通貨危機により投資資金の回収可能性に敏感になっていた外国資金は、急速に韓国から流出するという事態に立ち至った。韓国通貨当局は、このような事態が金融セクターの破たんという状況に陥るのを防止するため、8月から11月にかけ数次にわたり金融市場安定化対策を講じるとともに、外貨準備により金融セクターの資金支援を行ってきたが、ついに支えきれなくなり、11月末にはIMFを中心とする国際的な支援を要請することとなった。
韓国も、IMFとの合意直後は、大統領選を控えた政治状況の下、依然不安定な状況が続き市場の信認はなかなか回復せず資金流出も止まらなかった。しかし12月末に至り、新大統領の選出後、円滑な新体制の準備が進んだことや新大統領がプログラム実施に強い意志を見せたことによる政治に対する不安感の解消、IMF等の国際支援の前倒し決定、更には日米欧の主要民間銀行と韓国当局との間で韓国向け短期債権の長期化に関し検討の方向が合意されたこと等により、落ち着きを取り戻した。

(4)インドネシアを巡る状況

波及した国の中で最も深刻な状況となったのはインドネシアであった。インドネシア・ルピアはタイ・バーツ以上に下落し、通貨の下落により民間の対外外貨建て債務負担の増嵩、それが対外債務の返済能力に対する市場の不安感を招きルピアの下落をもたらすという悪循環に陥った。このため10月には、外貨準備の状況は危機的ではなかったが事態の保全を図るため、IMFへの支援を要請するという事態にまで立ち至ることになった。
10月31日のIMFとの経済調整プログラム合意後、インドネシア・ルピアは、一時小康状態の時期もあったが、大統領の健康不安説、調整政策の遂行を巡るインドネシア政府の姿勢(例えば、大統領の家族の経営する銀行が閉鎖されたが別の法人の形で実質的に復活した)等に対し市場は疑心暗鬼となり、12月から本年にかけてルピアは大きく下落し不安定な状況が続いた。特に1月6日に発表された予算案の前提が極めて楽観的であったこと(98年経済成長率4%[97年10月末のIMF見通しでは3%]、対ドルレート4,000ルピア[97年末同6,アジア通貨危機 000台]を見込んでいた)に加え、IMFとの間で合意されていた財政黒字対GDP比1%を盛り込んでおらず、市場はインドネシア政府の政策遂行態度への不信感を一層強めた。金融面について見ると、インドネシアの場合、韓国のような銀行債務というよりは、全体像の把握がより困難な企業の外貨建て債務が主たる問題となったことが特色であった。
1月15日にはIMFとの間で新たな政策措置につき合意したが、その実施見通し、特に独占の廃止、補助金の廃止等、インドネシアの経済構造に深く根差している改革項目の実施見通しにつき市場の不信感が根強く、また民間債務問題についての解決策が含まれていなかったことからも、ルピアは大きく下落した。更に、1月28日に民間債務問題解決の枠組みが作られたが、交渉が必ずしも進展しなかったこと、大統領の再選決定に伴う副大統領選出を巡る憶測が市場を不安定化した。その後、3月中旬に橋本総理が同国を訪問し、IMFとの政策プログラムについても協議が進展、4月8日にその修正・強化につき合意されたこと、民間債務問題についても交渉の進展が期待されるようになってきたこと等により、ルピアも落ち着く動きを示した。しかし、本報告書作成の直近の状況を見ると、5月4日の燃料価格値上げ発表等をきっかけに、社会・政治面での混乱が深刻化しており、今後の状況の推移については予断を許さない。また、このようなインドネシアの混乱の近隣諸国への影響を懸念する意見もあった。

第2節 アジア通貨危機後の韓国における構造改革

アジア通貨危機発生直後、韓国政府は、不良債権、過剰供給能力、財閥のオーバー・レバレッジの問題に取り組み、これが金融機関や企業が抱える様々な問題の解決に寄与した 194 。アジア通貨危機の最中に発足した金大中政権は、IMFによるコンディショナリティと平行して、国内経済の四大改革を推し進めた。四大改革とは、金融部門、企業(財閥)部門、労働市場及び公共部門における4つの改革のことである。以下では、金融、企業(財閥)、労働市場における改革について見ていく。

アジア通貨危機発生後から2001年末までに、韓国政府は、銀行が抱える不良債権の処理及び自己資本の拡充による体力の回復のために、GDP比で30%に上る155.3兆ウォンの公的資金を投入した。このような巨額の財政出動を行うことができた背景としては、アジア通貨危機前から健全財政を維持していたことが挙げられる(第Ⅱ-2-2-4図参照)。金融監督院は、公的資金投入に当たって、BISの基準である8%以上という条件を満たしているかどうかを検査し、この条件を満たさない銀行は他の銀行に合併されることとなった。この公的資金の投入によって、前掲第Ⅱ-2-1-20図で見たように、銀行の不良債権比率(不良債権の商業融資残高に対する比率)は大きく減少した。また、不良債権処理については、アジア通貨危機後に政府資金のファイナンスのために設立された資産管理公社(KAMCO:Korea Asset Management Corporation)による買取りが順次進められた。このようにアジア通貨危機後の韓国における金融部門の健全化には、政府主導による迅速な整理・統廃合が大きく寄与し、銀行業界の集約化が進んだ。

(企業(財閥)部門)

①の過剰債務の解消について、アジア通貨危機発生直後の1998年の第4四半期には、30大財閥の負債比率は約519%に達していた 198 (第Ⅱ-2-2-5図参照)。金大中政権は30大財閥に対して、1999年末までに負債比率を200%以下に低下させることを求めた。また、財閥企業は、銀行から融資を受ける際に系列企業間で債務保証を行っていたが、金大中政権は2000年3月までにすべての系列企業間での債務保証を解消することを求めた 199 (第Ⅱ-2-2-5図参照)。

②の過剰多角化の解消による選択と集中について、金大中政権は政府主導の政策によって、多角化した財閥企業の事業に対して選択と集中による大規模な事業集約(いわゆる「ビッグ・ディール」)を断行した。最終的に、半導体、鉄道車両、精油、発電設備、船舶用エンジン、航空機、石油化学、自動車、電子部門の9業種で事業集約が進められ、鉄道車両、精油、発電設備、船舶用エンジン、航空機では1999年までに事業集約が完了した アジア通貨危機 200 。この選択と集中による集約化によって、それれの市場は1~2社に集約された。この結果、1社当たりの市場規模を日本と比較すると、乗用車1.5倍、鉄鋼1.5倍、携帯電話2.2倍となっている(携帯電話は2009年見込み。その他は2008年実績) 201 。このように、「ビッグ・ディール」によって財閥企業の経営・財務状況が改善し、これが競争力の基盤の一つとなっている 202 。

③のコーポレート・ガバナンスの強化について、金大中政権は、IMFからの勧告によって、敵対的買収を容認することとなった 204 アジア通貨危機 。その結果、アジア通貨危機以降、韓国の30大財閥の株式の内部所有比率は、創業者一族が保有する割合が低下した一方、系列企業における保有割合が上昇することとなった(第Ⅱ-2-2-6図参照)。また、企業経営の透明性の向上を図るため、少数株主権行使要件の緩和や社外取締役制度の導入・拡大など、各種のコーポレート・ガバナンスに関わる改革を行った 205 。

(対外開放戦略)

(規制緩和の推進)

アジア通貨危機以降、金大中政権は、市場参入障壁の撤廃や外資参入規制の緩和といった規制緩和策も積極的に実施した。第Ⅱ-2-2-9図は、韓国についてのFDI制限指標 207 を産業別に示している。2013年における韓国のFDI制限指標を1997年時のデータと比較すると、ほぼ全ての産業でFDI制限指標が大きく低下しており、韓国の対外開放戦略が抜本的な規制緩和を伴う政策であったことが分かる。全産業を総合したFDI制限総合指数(第Ⅱ-2-2-9図中右端の棒グラフ)は、1997年の0.54から2013年の0.14へと0.39ポイント低下している。これは、他の先進国、新興国と比較してもかなり大きな低下である 208 。

207 OECDが算出・公表している対内直接投資に対する各種の制限や規制の強さを指数化した指標。数字が0に近いほど、より対外的に開放されていることを表す。FDI制限指標の算出方法等については、Golub(2003)、Kalinova, Palerm, and Thomsen(2010)、Koyama and Golub(2006)に解説がある。

積極的な対外開放政策はグローバル競争を促し、外資出資比率も高まっている 209 。第Ⅱ-2-2-12図は、韓国全上場企業の株式時価総額に占める保有主体別の割合の推移を表している。1998~2007年までの10年間、その他に含まれる政府・公共機関や個人による株式保有が減少傾向にある一方、海外の株式保有比率が上昇傾向にある。2008年のリーマン・ショック以降、その他に含まれる政府・公共機関の保有比率が再び拡大しているが、海外保有も30%代半ばを維持しており、個人や機関投資家の保有比率が低下している。

2008年9月のリーマン・ショック後の世界経済危機以降も、韓国政府は様々な政策対応によって企業の競争力強化を図っている。例えば、法人税の減税や電子申告化による納税の負荷の軽減といった事業環境の整備、破産法の改正による事業再生・継続の促進、最低資本金の撤廃等による起業の促進など、主に中小企業を対象とした規制緩和策を実行した 210 。第Ⅱ-2-2-13図及び第Ⅱ-2-2-14図は、韓国におけるベンチャー企業とInno-biz企業 211 の推移と企業の開廃業の推移を示しているが、これらの政策による効果もあり、韓国において新興企業の設立や新規企業の創業が非常に活発であることが分かる。開廃業率については、単純に水準を比較できないものの、日本よりも3倍程度高くなっており、経済の新陳代謝が活発であることがうかがわれる 212 。

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No.28
97年アジア通貨危機—東アジア9カ国・地域における背景と影響を分析する
エグゼクティブ・サマリー


    通貨危機のメカニズム
    本報告書では、最初に通貨危機の発生のメカニズムと危機防止政策について基本的な考え方を紹介して、後に続く各国編を読まれる際の参考に供するとともに、関係国支援に関し若干の政策提言を示した。

タイ
震源のタイでは、資産バブルを伴った典型的な通貨危機が発生した。事実上米ドルにペッグした為替レートの維持と高金利政策のもとで外為規制の緩和と金融市場の開放が実施された結果、特に94年以降、経常収支赤字を大幅に上回る510億ドルもの巨額の民間資本が短期間に流入した。対外国民間債務残高は96年末に940億ドル、GDPの50%を超え、同時に外貨準備は96年6月末には398億ドルに達した。巨額の資金の約半分は製造業に向かったが、楽観的な現状・将来予測に基づき収益率の低い事業に多くが投じられ、過剰設備が生み出された。加えて、余剰資金は不動産や株式にも向かい資産・消費バブルをもたらした。

マレーシア
マレーシア通貨当局は、5月中旬タイ・バーツ投機売りのリンギへの波及後2カ月間、ドル売り介入と金利引上げで防衛に努めたが、7月中旬、市場介入を放棄、市場実勢容認に転じた。これは同国の経済ファンダメンタルズは健全で早晩相場は回復するとの判断に基づくものであった。しかし、タイと類似の問題があり、これがリンギ売りを促したが、当初は10%程度の切下げに留まった。高度成長・総投資上昇の背後で、経常収支赤字の拡大と短期資本への依存増大、不動産・株式・威信発揚型メガプロジェクト等への投資の行き過ぎが進行していた。

インドネシア
ルピアは、7月中旬以降4度の売り攻勢を受けた。8月中旬に中銀は買い支えを断念、変動相場制に移行、ルピア相場は10月下旬に7月初比で約32%切り下がった。政府は、当初ドル売りに加え、金利引き上げ、売りオペ・国庫支出遅延、非居住者の先物取引制限等で対抗した。9月には政府等のプロジェクト延期・見直し、歳出削減、関税引き下げ等の輸出支援措置、奢侈品販売税引き上げ等輸入抑制を実施。しかし、ルピア売り圧力に抗しきれず、10月8日政府は IMF・世銀・ADBに金融支援を要請、ようやくルピア相場の動きは安定した。

不動産・インフラへの行き過ぎた投資、相当額の外国資金の投下は、贅沢品消費ブームと並んで、バブル状態を引起こし、ルピア売り圧力を高めた。今回の通貨危機でこれが破綻し、金融不安が懸念されている。華人企業家、プリブミ新富裕層の資本逃避行動も不安定化要因として無関係ではないとみられる。
IMFと合意した「経済健全化3カ年計画」に基づき、政府は、金融機関の健全化、緊縮財政、輸入規制緩和、外資導入・輸出促進のための規制緩和などの改革を実施する、と発表。まず、経営が不健全な16銀行を閉鎖した。通貨危機の打撃は大きく、IMF専務理事は、97、98年の実質成長率は2~3%低下、 7%台回復は99年か2000年と厳しい見通しを示している。

フィリピン
ペソの下落は、切り下げ容認と取られた財務長官発言をきっかけに始まった。7月11日に変動制限幅を超え1ドル26.40ペソから29.45ペソに急落、翌週初め以降、中銀は積極的なドル売り介入を放棄、ペソ相場は市場実勢に委ねられた。同時に、金利が引き上げられ、プライムレートは30%前後に上昇した。

シンガポール
シンガポール・ドルはバスケット方式をとるが、事実上米ドルにリンクしてきた。近年米ドルに対し切り上がり、95年以降1.4Sドル前後で安定してきた。シンガポールのファンダメンタルズは良好で、当初通貨危機の影響は軽微であった。しかし、8月中旬1.5Sドル台に突入、通貨当局高官は切り下げ格差是正を容認する発言を行った。さらに、10月上旬の蔵相の類似発言、銀行の不良債権額の公表をきっかけに、1.58Sドル台へと続落したが、当局のSドル大量買い介入で相場は落ち着いている。

香港
香港の金融政策の最重要課題は、83年に変動相場制に替えて採用された米ドルとのペッグ制度を維持することにある。同制度は、香港ドルの発券が100%米ドルの裏付けを条件としており、他のアセアン諸国の実質固定制とは基本的に異なる。

中国
中国元は狭い変動幅を認める管理変動制を採っているが、経済ファンダメンタルズは良好で、資本取引には厳しい規制が残されており、アセアン諸国の通貨切り下げが波及することはないとみられる。しかし、香港株の下落を受けて、国内の外国人向け株式は低迷している。株式化を国有企業改革の突破口として期待している中国政府は、香港ドル防衛のため外貨準備を取り崩して、買い支えに出ていると報じられている。場合によっては国有企業改革を含む経済プログラムの修正が必要になる可能性もある。

台湾
アセアン通貨危機は7月下旬に台湾に波及、台湾元、株価の下落を招いた。さらに、10月上旬に、輸出競争力維持のため通貨当局は、台湾元の切り下げを容認するとの観測が広まり、同29日には30.7元/米ドルと10年ぶりの水準に低下した。

韓国
ウォン相場は9月初旬に1米ドル905.60ウォンと90年3月以来の最安値に下落、以後安値を更新、株価も10月中旬に5年ぶりの最安値を付け、外貨準備は8月末311億ドルと2月からほぼ半減した。これは、国内の金融不安によるもので、アセアン通貨危機波及は二次的要因であった。

今後の展望と課題
通貨危機の影響でアセアン各国の97、98年の成長鈍化は避けられない。しかし、震源のタイで両年とも大幅な落ち込みが見込まれる以外、現状では他の3カ国の減速は軽度に止まると見込まれる。IMF・世銀とも、通貨不安は東南アジアの長期展望を大きく損なうことはないとみている。

アジア通貨危機

1980年代経済成長を続けていた東南アジアやNIEs諸国では金融自由化などの世界経済のボーダーレスが進み、海外から多額の資本が流入して不動産などに投資された。特にタイでは90年代にかけて、いわば「バブル状態」にふくれあがった。そのような中で1997年にタイの通貨バーツが突如、暴落した。それは外国の通貨や株式の売買で巨額な利益をあげるヘッジファンドとよばれる投資家グループが、タイ経済の先行きの悪いことを見通し、一気にバーツ売りに走ったからであった。当初バーツを買い支えていたタイ当局も買い支えられなくなり、バーツは変動相場制(東南アジアの通貨は当時は固定相場制だった)移行を宣言した。このタイの通貨暴落はマレーシア、インドネシア、韓国に飛び火し、アジア通貨危機が急速に深刻化した。

タイで通貨危機が発生した原因は次の点にあった。1985年9月のアメリカのドル高を是正するための先進国諸国間のプラザ合意以後、円高などにより先進国からの発展途上国への直接的な投資が始まると、タイでも海外からの製造業投資が急増して、1985~95年の輸出伸び率が年平均で20%を超え、経済成長率も年平均で9.9%の高い水準を記録した。しかし、同時に、世界の投機的資金も流入したので、証券市場や不動産価格が高騰して、実体経済とは無関係にバブル状態になった。これに加えて、投機的投資に対するタイの金融制度の不備や脆弱性があったことが一因として指摘されており、これらはタイ以外のアジア諸国でも共通の弱点だった。 <岩崎育夫『入門東南アジア近現代史』2017 講談社現代新書 p.208>

(引用)バブルがはじけ、投機的資金がタイから引き揚げてバーツが暴落すると、タイ中央銀行の外貨準備金は1996年12月の338億ドルから、危機が発生した1997年7月にはわずか11億ドルになった。そのため、IMF(国際通貨基金)と日本がそれぞれ40億ドル、他の支援を合わせて172億ドルの緊急支援をタイに行った。危機がアジアの他の国にも波及すると、国際通貨基金や世界銀行などが主導して、インドネシアに392億ドル、韓国に350億ドルの救済融資がおこなわれたのである。 <岩崎育夫『入門東南アジア近現代史』2017 講談社現代新書 p.209>

マレーシアのマハティール首相は通貨危機の原因は国際的な投機家に責任があるとしてIMF管理を拒否し、投機取引規制や為替相場に対する管理強化などで通貨危機を乗り切った。
インドネシアでは、IMFの緊急融資を受けることを決めたが、IMFによる経済支配に反発した民衆が反対運動を展開、1998年5月、ついにスハルト大統領は32年続いたその地位を降りるという事態となった。
タイでも通貨危機に対応できなかったチャワリット内閣が退陣、代わったチュアン内閣がIMFの指導のもとで不良債権の整理を進め、日本の支援で雇用創出などに努めた。その結果、バーツ下落で通貨競争力が増したこともあって輸出が増え、1999年には成長率をV字回復することができた。しかし国民のなかには経済危機に際しても強いリーダーシップを発揮する政権に期待する声が強まり、それを受けて実業家として成功したタクシン政権が2001年に登場することとなる。
韓国では金泳三大統領が90年代にグローバル経済に対応するとして、市場開放・合理化を進めていたがアジア通貨危機に対応できず、同年末の大統領選挙で当選した金大中がIMFの求める緊縮財政、規制緩和、公共事業削減などを行うことを条件にその支援を得て構造改革(経済調整政策)を進めた。

このアジア通貨危機は、急成長を遂げたこれらの国々が、現実には通貨管理態勢などが不十分であったために、欧米の投機的な通貨投資家に狙われ、短期融資の資金が引き上げあられたためと言われている。いわば東南アジア版のバブル崩壊であり、国際的なヘッジファンドの力によって起こされた「新しい型の金融危機」であった。現在ではASEAN諸国に日本、中国、韓国が加わり、「アジア通貨基金」の設立の構想などや二国間の資金融通協定が生まれており、通貨危機に対する対策がとられている。
このアジア通貨危機によってNIEsの時代は終わり、2001年以降は中国経済の急速な成長がアジアだけでなく、世界経済の最も注目すべき動きとなっている。2013年、中国の習近平国家主席は東南アジアを歴訪した際、「アジアインフラ投資銀行」の発足を提唱、2015年末に発足させた。発足時は東南アジア諸国が参加したが、その後イギリスなどのヨーロッパ諸国が参加(アメリカと日本は不参加)して、中国のインフラ開発投資が新たな枠組みになろうとしている。

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